毛利甚八『裁判官のかたち』(現代人文社、2002年)
より 抜粋。
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毛利甚八(もうり・じんぱち)
1958年長崎県生まれ。
旅と日本をこよなく愛する。
ライターおよびマンガ原作者。
主著に、『家栽の人』(原作、小学館)、
『宮本常一を歩く上・下』(小学館)などがある。
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浅見宣義(あさみのぶよし)裁判官
裁判官の有志二〇名(出向中を含む)で設立された「日本裁判官
ネットワーク」の中心的存在であり、司法改革を論議する際に
「もの言う裁判官」として欠かせない存在になっている。
ドイツではヴァッサーマンという裁判官に会うことができた。
そして彼の生き方に一番感動しました。
浅見宣義判事補(当時)が書いた論文「静かな正義の克服を目指して
─ 私の司法改革案」は、平明にして的確、多くの実用的なアイデアが
盛り込まれた画期的なものであった。一九九三年年に発表されたのは
次の三つの論文で、六回に分けて掲載された。
「その一 裁判所のイメージアップのために─裁判所CI作戦」
「その二 二一世紀の裁判官を育てるために─判事補研修制度改善の提言」
「その三 裁判所の組織、組織文化の改革のために─裁判所リストラ作戦」
裁判所リストラ作戦では、最高裁による中央集権的で形式主義的な改革が
現場の裁判官をより形式主義に堕落させるとし、《・・・、いやむしろ明文化
されていない慣習や行動様式こそ、裁判官の日常に影響するものとして、
そしてその積み重ねによって動かしがたい裁判官の態度を決定していくもの
として、改革の対象とされなければならない》(判例時報一四六五号三〇項)
と、・・・・・・。
「僕は地方分権派で、最終的には高裁単位かな全国の地裁・家裁・簡裁
それぞれが裁判所や裁判官のあり方を考え、かつ実践できる制度ができ、
情報をネットワークでつなぐようになればいいなと考えているんです。
対話の相手はいても的はない、そう考えて、これからも活動を続けていようと
思っています。」
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石松竹雄(いしまつたけお)元裁判官
当時、GHQが設置していた provost court と呼ばれる裁判所が桜田門の
警視庁と品川警察署の庁舎の上の階にありました。
新しい裁判所制度は敗戦から連合国による占領と、めまぐるしく価値観が
変化する世相の中で生まれた。GHQがその地位向上にことさら力をいれた
とされる裁判官という職業も、食糧難を生きるエリート青年にはこれほど
懐疑的な見方をされていたわけだ。
「私は網田(網田覚一・大阪地裁)さんの裁判を見て、これなら闇米を食べ
ながら裁判ができると思いました。
これは後に網田さんから聞いた話です。
ある時、網田さんが令状当番をしていると、闇米を運んでいたおばさん
二〇人ばかりが捕まり、検事が勾留請求をした。勾留請求をされた網田さん
はそれをすべて却下してしまった。すると網田さんの母校である高知の
旧制高校の後輩に当たる検事が、何人かの勾留を認めてくれないかと
頼みに来た。
そこで網田さんはこう返事をしたそうです。
『検事のなかに一人でも闇米を食うてない奴がいたらここに連れてこい。
そしたら、全員の勾留を認めてやる』。
結局、誰も来なかったと笑っていました」。
網田裁判官は昭和三八(一九六三)年に退官する。退官間際には訴訟
指揮が誤解を受けたり、豊富なキャリアにもかかわらず高裁判事に選ばれ
ないなど見方によっては不遇だった。
「・・・。
しかし、いつのまにか新聞記者が絶対に裁判官室に出入りしなくなったん
です。総務課に広報の窓口ができてそこで交渉するようになり、書記官室
にも顔を出さなくなりました」。
公の場としての裁判所が、次第に窮屈になり人の出入りを拒むようになった
のは、一九六〇年代後半の学生事件の裁判が契機となった。
学生事件を契機に欠席裁判などの刑事訴訟法の改正もなされましたが、
そういう変化は東京の裁判所がイニシアチブをとった。背景としては、東京
では労弁や自由法曹団といった既成の団体が学生運動に対して否定的
だったこともあるでしょう。
それに対し大阪のほうでは何人かの弁護士が学生運動の弁護運動を
手がけ、従来からの弁護の伝統と新しい傾向をなんとかすりあわせようと
努力されていた。一方で大阪の裁判官たちも強権的な裁判にならないように
努力したんです。
一方では青年法律家協会をめぐる裁判所内部での動揺もあった。昭和三四
(一九五九)年の砂川事件における東京地裁の米軍に対する違憲判決を
皮切りに一九六〇年代を通じて公安・労働関係の裁判で警察・検察に不利な
第一審判決が相次いだことから、保守派の裁判官や政府与党の中から裁判
の偏向を糾弾する声が挙がった。これを受けた最高裁判所は裁判官の管理
を強めたといわれ、一九七〇年代には「司法の冬」という言葉が生まれた。
先に言った学生運動の問題と青法協会問題を境に、裁判所は変質していき
ました。最高裁判所は防御的になり、政権などの強いものに対して場当たり
的な対応をしていくようになったと思います。
そして、強い意見を持つ人を裁判所内部に置けない体質を持つようになった。
あれ以降、最高裁判所は結果的に反乱しない人だけを裁判官に選び続け
たんじゃないでしょうか。
裁判所を建て直すとすれば、最高裁判所が予算を自立してコントロールする
ことが大切じゃないでしょうか。
また個々の裁判官は、研修を最高裁任せにせず自分たちの手でやるべき
です。自分で自分を磨くことのできる裁判官こそが、職権の独立を守り、
法で守られるべき少数者のための裁判を実現できるのではないでしょうか」。
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近藤昌昭(こんどうまさあき)裁判官
最高裁の玄関がある東の方向には当然、皇居がある。そちらを向きながら、
皇室に失礼ではない建物のあり方はどのようなものか。それは、国会議事堂
や国会図書館と整列し、そちらを向きつつ皇居から少し視線を反らす、その
ような曖昧な態度が「公正らしい」という考えなのだろう。
ただ裁判官は、法という複雑なシステムを熟知した技術者であろう。その法の
適用される場に、思想や個人の権利、生命という人間生活の生命線が関わっ
ているために、裁判官の判断を国家という権威が支えるかたちになっている。
これまでは国家の権威を裁判官の権威を重ねて見ることはごく普通のことで
あった。そのような視点を支えていたのは、官僚と民間の間にある絶対的な
能力差と情報の格差であった。
その官と民の間の大きな格差が解消されてきたために、裁判官もまた、普通
の技術者としての優劣を、率直に問われる時代が近づいてきているのである。
私たちは、自動車を設計することのできる技術者に、専門的な技術論や仕事
ぶりなどは問わない。できた車が、使いやすく、安全かと問うのみだ。・・・・・。
だが、最高裁はまだ隠すこと、沈黙することを世の中と対峙する戦略のひとつ
だと考えているようだ。
「いつかわかってくれるさ」
わかってもらうためには、相手の立場でものを考えなければならない。自分の
情報を、発信する相手の土俵で評価し、取捨選択し、再構築しないと、情報や
意見は伝わらないのである。
また、そうしたコミュニケーションを通じて見えてくるものこそ、本物のニーズ
なのである。
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岡健太郎(おかけんたろう)裁判官
裁判所制度を考えるとき、五五年体制下の左右のイデオロギー対立から
生まれた二元的な言説は今も現役で使われている。最高裁に進むエリートと
最高裁に差別される反体制的裁判官の図式は、それに変わるものがないまま、
裁判所制度を語るための枕として、また権力を指弾するための足場として
使われながら、次第に効力を薄れさせている。なにしろ「司法の冬の時代」
以降、裁判所を語る新しい思想も言葉もない真空状態だから、古い武器でも
使わざるをえないのだ。
そうした真空状態のなかで、「司法の冬」を体験していない世代がいよいよ
司法という巨大な飛行機の、それぞれの持ち場での操縦桿を握るように
なったのだ。
・・・・・。まるで、少年事件の司法行政をするためには実際の少年審判での
経験や悩みは不必要だ、と考えられているかのようである。
その分野を知らない人のほうが仕事がやりやすいのだという最高裁の思惑が
あるのだとすると、最高裁での少年部の司法行政を取り扱う裁判官と現場の
裁判官は仲間意識を持つどころか敵対関係にならざるをえないのではなか
ろうか。家庭裁判所で少年審判に取り組んでいる現場の裁判官は、自らの
現場を変えられないし、出世もできないという絶望感を抱く可能性もある。
現場の声を吸い上げて家庭裁判所を改善することが容易な関係とは思え
ない。
岡健太郎さんもまた、最高裁事務総局の仕事よりも裁判官の仕事のほうが
おもしろいと言った。司法行政の仕事は時間的にきつく、最高裁事務局で
働くために裁判官が努力するとは考えにくという。
裁判官という仕事全体がエリートなのであって、事務総局の仕事は誰かが
やらねばならないからやるにすぎない。
「事務総局の仕事は裁判事務とは異質なんです。裁判というのは事件の事実
認定とそれに対する法律の適用が主な仕事で学問に近いんです。ところが
司法行政はいろいろな予算を考えたり、どういう記録の書式を作るかを考え
たり、こまごまとした仕事で柔軟性が必要かもしれませんね」。
・・・・・。一方で草加事件の最高裁破棄差戻しの話題で「あんな証拠で一五年
も裁判に巻き込まれた少年はかわいそうだ」と私が言うと、「あれは民事裁判
ですから」ときわめて冷静な答えが帰って(*注:返って?)きた。
無罪の少年が一人でもいた場合、冤罪に巻き込まれた人生や時間は返って
こない。考えるだけで胸が痛い。そうした思いは制度や法律を超えたもので
ある。現実にはなんら役に立たない感傷である。しかし、そういう思いを持つ
裁判官が最高裁で働くことは悪いことなのであろうか。裁判所を使わざるを
えない人たちが裁判官席を仰ぎ見る時、そこに情を含めた人格を読みとろう
とすることは無理難題なのであろうか。
最高裁事務総局で働く二人の裁判官と会ってみて感じたのは、個人としては
きわめて善良でまじめな人たちだなぁ、ということだ。・・・・・。
彼らは最高裁事務総局の仕事と裁判実務を区別したがる。そして裁判実務に
ある自由さをありがたがるが、それは机のまわりの小さな利己的な自由である。
憲法に身分を保障され、破格に近い官舎に住み、自由な裁量で仕事を
こなし、そのうえに仕事上の過失は公務員であるゆえに個人としては問われ
にくい。これほど優遇された裁判官が、社会的な責任よりも組織内部の多数
意見に頼って世界を見る癖を持ち、法廷に立つ無力な人々のことを省みない
とすると、裁判官は司法試験合格の既成事実にあぐらをかいた、裁判官と
いう利権を守る頭のいい子どもの群れではないか。
私のインタビューを受けたことは、二人の裁判官にとって不運なことなので
あろう。しかし、司法という巨大なシステムに二つとない自己を投げ込んで
生きる意味や価値を、そこに生きる個人のメッセージを聞きたくて、私は
最高裁に出かけたのである。
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一二年前に出会った裁判官
裁判所を見捨てた
女性裁判官
その後、彼女は裁判官を退官して南の島で大学教授になった。
日本の裁判官はたくさんの、服や飾りを身につけている。学歴、司法試験
以後の成績、歴任してきた地位、効率のよい仕事ぶり、ミスの少なさ、最高裁
の後ろ盾。その服を脱ぎ捨てて、自分を語れる人に出会うのは珍しい。
彼女の話を聞いていると、いつも裁判官であることを忘れてしまう。
─ 裁判所制度がいびつだと思うのは、沈黙や不実行が有効で、そのほうが
割に合うという感覚が内部にあるからだと思います。
「そうですね。しかし、裁判所の中で行動するとすれば、自分の中で深く内面化
したものをもとに、軋轢を減らすために最大限の努力を払ってやるものだと
思うんです。・・・・・」。
私は正木ひろしほど厳しい舌鋒で裁判官を語ることはできないが、裁判官と
接する機会を持った一般人としての感想を言うと、彼らは自分の行動や良心
を自己評価できるほどの写し鏡を持ってはいない。それほどに戦後の日本の
状況が屈折していた、とも言えるが、そろそろ裁判や正義を語る真摯な言葉
が積み上げられないと、時代は裁判官を置き去りにしたまま進んでいくだろう。
─ 司法改革で何かが変わると思いますか?
「・・・・・。法曹を増やして、争いを増やせばいい、というのは悪い社会を作ろう
としている論議でしょう。改革なんかじゃないですよ。人が協調することこそ
解決の道なのに、逆じゃないですか。現状よりも人が協調できるように
どうすればいいのかを考えればいいと、私は思っている。
・・・・・。
法曹を増やし紛争を増やす改革の論議をして、いかに争いをなくすかは誰も
考えない。私は短い一生をこういう異質な考えの下で費やすよりも、学生たち
に私の基本的な考え方を伝えていくことを選んだんです。そして学生たちが
人と争わずに、人に良くすることが自分を幸せにする道だということをわかって
くれるように、教壇において述べようと思っているんです。・・・・・」。
・・・、だが、裁判所は彼女にも見捨てられてしまったのである。
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井垣康弘(いがきやすひろ)裁判官
井垣さんは神戸児童連続殺傷事件の少年を審判した神戸家裁の裁判官と
して有名である。また日本裁判官ネットワークのメンバーでもある。
戦後の少年法(昭和二三年七月一五日成立公布)の精神を支持する人間と
して、便宜に甘えて事件をほじくりたくないという自己規制の気持と、どんなに
少年の近くにいる人に話を聞いても、結局は「知る」ことなどできないという
絶望感の両方があった。
・・・、彼のコラムを読んだからだ。
・・・・・。
《刑事の証拠操作が巧妙で、判事も検事も弁護士も皆だまされてしまった
のだ。証拠を偽造されると、裁判システムは弱点をさらけ出すのである。
・・・離婚を迫るシーンでは、泣きじゃくってしまった》(井垣康弘・映画
「ザ・ハリケーン」を見て)。
「裁判官らしくないなぁ」。
スキだらけのの文章に虚をつかれた思いがした。裁判官としての気取りや
自意識が見事に取り除かれている。人に伝えることだけに徹した文章である。
昭和四二(一九六七)年、井垣さんは判事補として希望通り大阪地裁刑事部
に配属される。戦後の大阪の裁判所が裁判官の独立を尊重する、きわめて
リベラルな空気の漂う場所だったことは多くの裁判官・元裁判官が証言する
ところである。
大阪地裁には裁判長(部総括裁判官)の選挙制度が生まれており、判事補
にも投票権があった。・・・・・。裁判長の品定めが時折行われ、・・・。
《 》(井垣康弘「私の構想する法曹一元制度」自由と正義二〇〇〇年一月号)
この文章を読むと、私は村落共同体の若衆を思い出してしまう。たとえ直接の
権力を振るえないとしても、若い世代がシャドーキャビネットを作って模擬的
意思決定を行い、選挙を通じて意思表示ができたとすれば、組織の中に、
年輩者の緊張と若い世代の溌剌とした気分の二重の空気が流れていた
ことだろう。
・・・、上席裁判官(裁判所所長の司法行政事務代理を務める裁判所の
ナンバー2)も選挙で・・・」。
支部めぐりから家裁へ、これが最高裁事務総局の思い描く懲罰人事であり、
裁判官の転落コースなのだろう。
ただし、支部めぐりが裁判官のプライドを傷つけるという構図に私は素直に
与したくない。支部めぐりに傷ついた時点で、裁判官は最高裁(本稿の
「最高裁」とは、司法行政を担う事務総局を指す。以下、同じ)を頂点とする
ピラミッド構造の中に価値を置くことになる。そこにこだわりすぎると、出世に
未練たらたらで傷ついている人と、最高裁という組織の弊害で苦しんでいる
人との区別がつきにくくなる。
井垣さんが家事調停の現場で作り上げようとしたものは、必要な情報が解決
に関与するすべての人に平等に行きわたり、なによりも当事者同士の対話が
育てられていく場であった。
最高裁と最高裁に人事情報を吸い上げられている裁判官たちは、創造を嫌い、
統制が大好きなのだという確信が湧いてくる。もしかしたら井垣さんが開発
した手法の手柄を、こっそりと奪い取りたかったのかもしれない。どちらにしろ、
法という偉大な価値を守る人々を支配しているのはおびえと嫉妬なのである。
・・・・・。
町並みは総じて、車で移動することを念頭に置いた大味なつくりである。
私はその無関心のありようこそが、事件の残酷さや異様さを支えて、なおも
現在の私たちを試している「状況」なのだと思う。解決策や答えなど簡単に
出ない。
─ 改正には賛成ですか、反対ですか?
「少年法改正には基本的には反対です。・・・・・。これは少年司法の問題だけ
ではなく、刑事司法全体のもんだいですが、・・・・・」。
─ 従来の少年審判に問題があるとすればどんなところでしょうか?
「まずは情報の開示、そして審判に被害者が参加できるような審判の改革が
必要になると思います。情報の開示の問題で言えば、・・・、その情報は主に
処分を決定するために使われています。・・・・・」。
井垣さんは自分の職場に、多くの人を招き入れようとする。・・・・・。
同じ情報を与えて平等に悩むのが理想のようだ。
井垣康弘裁判官は今年(二〇〇〇年)九月から一〇月にかけて、産経新聞、
共同通信、雑誌「法学セミナー」などを通じて独自の少年審判の改革案を
一般に向けて発信した。
私たちは*現行少年法の限界からでなく、最高裁判所と法務省の怠慢に
よって引き起こされた情報の飢餓状態にある。
・・・・・。インタビューをして強く感じたのは、観念的な言葉を嫌う、その合理的
な性格であった。
井垣さんは働き者だったから、負けなかったのである。法廷という場で実践を
重ね、現実を直視し、裁判所にやってくる人から学ぶ気持を捨てなかった
から、・・・・。
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森脇淳一(もりわきじゅんいち)裁判官
・・・、日本裁判官ネットワークとは一線を画し、「裁判官が自分の境遇を嘆く
のは潔くない」と我が道を行く人だそうだ。
森脇淳一さんがこだわるのは、組織論や大文字の司法改革ではなく、裁判官
という自分の生き方である。
森脇さんの裁判所の見方はシニカルである。裁判所は結局、権力の横暴
装置の一部である。
エリート裁判官との合議を通じて、司法行政をやる人間と自分の能力が違う
ことも確認した。
「・・・・・。
僕は守旧派ではありませんが、裁判官が法曹一元や陪審制などを主張
するのには反対です。三権分立の建前から言って、裁判官は国会で立法
された法律を適用するのが仕事だからです。まな板の鯉が料理法を選ぶ
べきではない。どんなところで困っているかという情報開示はすべきだと
思いますが、どんな制度がいいとは言えないと思う。
ただ、司法行政をやっている最高裁事務総局と現場の裁判官とのパイプは
作りたいと思います。・・・・・」。
「・・・・・。僕は商売人の息子です。その目から見れば、ほんまにおかしなこと
ばかり。・・・・・。
僕はお金をもらって仕事をしている以上、裁判所はお客さんを増やし、大きく
なって立派になって予算取れるようにすればいいと思う。それは当たり前の
ことじゃないですか。
・・・・・。
誰が困った裁判官かは弁護士も職員も知っていますよ。・・・・・」。
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園尾隆司(そのおたかし)裁判官
東京地裁の総務課広報係を通して申し込んでくれないかという。
霞ヶ関の東京地方裁判所へ出かけた。
「・・・・・。ただ私がどんなに平等にふるまっても、法的な権限はある。私は
その権限を使って仕事をするだけなんです。裁判官が歩く順序や宴会の時に
座る席順とか、そういう余分な思い込みや慣習はできるだけ崩したほうが
いい。それをすべてなくしても、やっぱり権限はあるんだから、その権限に
従って自然にやればいいじゃないでしょうか」。
「・・・・・。
最高裁というのは、皆さんが考えているほどの権力はないんですよ。裁判所
の場合、個々の裁判官がすべての権限を握っている。・・・、たとえば法務省の
民事局が通達で全体を動かせるのとはまったく違うんです。・・・・・」。
─ 司法制度改革審議会そのものが、経済界の「裁判実務をもっと早く」という
声に始まっています。
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山口毅彦(やまぐちたけひこ)裁判官
如月会は青年法律家協会の裁判部会が、政治色を弱めるなかで親睦団体
として生き残った組織である。
私は九歳で「国家」という言葉も知らなかった。暗い国道に並んでいる人とも
モノとも区別しがたい機動隊員の黒々とした塊が、初めて見た具体的な国家
像であり、国道を挟んで時を待つ学生と機動隊員のあまりにアンバランスな
ありようが、「権力」という言葉を考えるたびに甦るようになってしまった。
「・・・・・。自分の主張が政治的に正しいというよりは、主張は誰の前でも
言える、表現できるはずだ。その表現に対して、国家は憲法よりずっと下位の
法律である道路交通法などで縛っているわけでしょ。本来許可すべき、デモの
許可をせんとかね。・・・・・。
われわれの時代はゲバ棒なんて持っていない。それに向かって機動隊は
催涙弾をばんばん撃ってきて、・・・」。
「・・・・・。
大阪はすごかった。自由だと聞いとったけど、予想以上だった。・・・・・」。
「・・・・・。
被告人に対して何の邪念もなく真っ白な気持で対峙できるのかというとなか
なかできない。裁判というのは本当に難しい。われわれ裁判官は裁判を
通じて、自分の予断と偏見と闘い続けているようなものですよ」。
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井上弘道(いのうえひろみち)裁判官
九階の総務課を訪ねると、受付にコピーの束がずらりと並べてある。みれば
司法制度改革審議会の意見書を報じた新聞記事のスクラップ集だ。・・・・・。
こうやって組織全体で、世論を咀嚼するわけだ。
─ ・・・、今の刑事裁判の出来高をどうとらえていますか。
「・・・・・。誰もが認めるのは効率と安定、それについては評価を受けると思い
ます。
なによりも日本の刑事裁判が外国の裁判と違うのは、精密な司法だと思い
ます。そう言うと良さそうに聞こえるかもしれませんが、緻密なんです、細かい
なんです。判決書きなども細かい。すると書面に頼るところが増えてきます。・・・・・。諸外国に比べて調書が厚い。そこで被疑者の人権上問題がある
ことになるのだと思います。それはわかりますよ。
では書面主義をやめて、捜査もあっさりしましょうと、後は法廷で勝負しましょう
ということになれば、今のような緻密な事実認定はできなくなる。精密な司法と
いうのはできなくなりますね。それでいいんですか、ということでしょう」。
「・・・・・。裁判というのは検察のやってきたことをチェックするということでは
ありません。もともとは何もないところに、こういう被告人についてこういう
事件がありますよ、と(検察が)いう時に『検察のほうで立証してごらんなさい』
と、『ちゃんと疑いの余地がないほど立証ができますか」ということでやって
いるわけです。
免罪ということで言えば、・・・、言われるとすれば、意識的ではなくて無意識の
ところだと思います。警察がこうやって検察がこうやったんだから間違いない
だろうと。
・・・・・。
そういう疑いを晴らすためには何が大切かといえば、『虚心坦懐』というか、
世間がワーッと燃えていても、そういうのと関係なく『淡々と』出てきた証拠を
見る。・・・・・」。
─ ・・・、今、裁判官が裁判員という市民のサポートが必要だと思っているわけ
ではないのですか?
「・・・・・。
なんといっても一番いいと思うのは、いろんな条件をクリアした理想な場合
ですが、われわれにとって今まで受けていた批判が、はっきりといわれのない
ものだとわかってもらえると思うんです。たとえば冤罪事件などそうですが、
いかにも自分たちのわけのわからないところで、検察との関係だけで、官僚
的にわぁわぁやって、ちまちまやってごまかしている、わかりにくくしている
という目でもし裁判官が見られているとすれば、現実は全然そんなことは
ないよと。
・・・・・。今よりは精密さは欠けるでしょう。こまかい事実認定がどうなるかと
いうと、若干はラフなものにならざるをえない。・・・・・」。
─ 最高裁事務総局はもろ手を挙げて、司法改革に参加するでしょうか?
「それはわからないし、最高裁というのは辛いところがありましてね。・・・・・。
一歩引いた立場でやらざるをえない。もともと裁判官はそういう立場です。
いくら判決を批判されても弁解しない。そういうものです」。
─ しかし日本の先行きが不透明な今、国民ははっきりとした言葉を求めて
います。・・・・・。
「そこに関しては個々人の考えや裁判官の独立からいろんな発想があるで
しょう。・・・・・。
おっしゃることはわかります。社会にそういうニーズがあるのもわかります。
だけども、私たちがここで考えなければならないのは、日本の裁判所は
民主的正統性がどこにありますかということです。アメリカの裁判官を褒める
言葉は GOOD POLITICIAN です。日本の裁判官なら政治家と呼ばれて
怒るでしょうし、国民も違和感がありますよ。そのぐらい違う。・・・・・。
ただ、私は堅いかもしれないけれど、しゃかいのムードや流れがあるにしても、
裁判官は一歩せめて半歩は少し後ろでやっていくようにしなければいけないと
思いますね」。
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ハンセン病訴訟熊本地裁裁判官を語る
そこで、この裁判の原告代表団の八尋光秀弁護士のインタビューを通して、
この裁判の経緯と裁判を担当した杉山正士裁判長、伊藤正晴裁判官
(右陪席)、渡部市郎裁判官(左陪席)の仕事ぶりを聞いてみることにした。
─ 今回は裁判官と事件の組み合わせがよかった?
「やはり事件の大きさと力です。・・・・・」。
「・・・・・。ハンセン病に対する差別や偏見を、病気そのものが作ったのでは
なくて、政策や法律がつくったのだというためにずっと積み上げてきている。・・・・・。
手堅い。すごく手堅い判決です」。
─ 杉山正士という裁判長は勇気のある人だったんでしょうか?
「事件の大きさがあの判決を書かせたんでしょう。・・・・・。やっぱり説得の
前に感じるってことが必要です。・・・・・」。
「・・・・・。
裁判官を動かすのはやっぱり正義感です。
・・・・・。
川辺川の行政裁判では国を勝たせる判決を書いているし、これまでこういう
国を大きく負かす判決は書いていないんじゃないでしょうか」。
─ 判決が出た時、原告弁護団代表として、どんな気持でしたか?
「・・・・・。
この判決と控訴断念のどこが良かったと言えば、『書きたいことを書けば
市民が評価してくれて、世論がついてくる。判決に感動してくれる』ということを
裁判官に伝えられたことですよ。裁判官は今まで、自分たちのところにあまり
市民はついてきていない、と思ってた。・・・・・」。
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(抜粋)
《座談会》
市民に開かれた司法をつくる
二一世紀の裁判と裁判官
青法協批判
一九七一年に宮本判事補に対して再任拒否があったが、その理由が
青法協会員であることを間接的に認める発言を最高裁事務総局はした。
これを契機に最高裁事務総局による裁判官に対する統制が強化され、
現在に至る。
馬場健一(ばば・けんいち) 神戸大学教授
浅見宜義(あさみ・のぶよし) 大阪高等裁判所事務職代行
(大阪地方裁判所判事)
毛利甚八(もうり・じんぱち) フリーライター・司会
馬場 法学者などは戦前戦後でそんなに激しく変わってないですね。
・・・、戦争中に『法律時報』なんかで「学生を出陣させてなんやかんや」と
戦意を煽っていた人が、戦後なんら反省もなく、新しい体制の中で
「新時代をしっかりやっていこう」みたいなことを平気で書いているわけ
です。
馬場 新しい時代の中でもうまいこと裁判官のまま続いていければ
いいなという人がわりあい多かったのではないですか。
浅見 いつの時代でもそうなのです。安全に過ごせるかどうかが。まさに
今がそういう時代なのです。
浅見 改革派として戦後抜擢され、最後の大審院長をした細野長良
という人です。この人の評価は分かれるでしょうが、司法の歴史を
学ぶために、ぜひ皆さんに知っておいて欲しい人です。この人は、
戦争中、広島控訴院長の職にあり、時の東条首相が司法部に頭の
切替等を要求した時、抗議文を送りつけました。
浅見 細野さんに反対する人たちは、絶対に細野支持勢力を勝たしては
いけないということで、自分たちなりの正義感を持っていて全国行脚して
選挙運動をやるわけです。
・・・・・。その後は、最高裁判事の選任は最高裁のおぜん立てで内閣が
指名するというふうなかたちになってしまいました。
毛利 ・・・、世代論を持ち出しています。要するに若い人と歳とった人と
が情報が共有していないのです。
馬場 ・・・・・。
彼らはそのまま戦後の新しい体制の中で生き延びていく。
自分たちに都合のいいような歴史ばかりを語ってきた。文献の
中でもそういうかたちで法社会学史は語られていて、・・・。
だから学者でも同じように自分たちの過去についてえぐって
いくというか、反省していくような気運というのはあまりなくて、
やはり自分たちの足元を「自分たちは弾圧された、自分たちは
苦労したんだ」という話はしても、「自分たちは悪いことをした」
もしくは「自分たちはこういうふうにごまかしてきた」みたいなことを
十分総括していない。法学者は多くのところがそうだと思う
のです。・・・・・。
毛利 日本の体質ですか。
馬場 ・・・・・。やはりドイツというのはまわりに同じような民主主義国が
戦前からあって、その間の力関係もわりあいバランスがとれて
いた。
浅見 ・・・・・。
それはドイツの政治状況とか連邦制度であるとか、東に対する
ショーウィンドゥでなければいけないことなどが影響しているようです。
彼らにとっては司法の民主化を否定できない社会なのです。
・・・・・。
毛利 それは七〇年ですか?
浅見 七〇年頃ですね。*宮本再任拒否問題が起きるのがちょうど
七一年ではないですか。
毛利 ドイツと日本の分岐点はどこにあるのでしょうか?
浅見 ・・・・・。
個人主義みたいなのがどれだけ社会に息づいているかというところ、
最後はそこが一番違うところだと思うのです。
毛利 さっきまわりに国があるという話もそうですが、権威がいつも隣の
同じようなもので試されている状態なわけでしょう。国と国が隣に
あって違う政治をしているとすれば、その政治はつねに両方から
試されているわけです。・・・・・。日本はわりと権威というものが
一つに向かって集中して敵対するものがない。・・・・・。
ライバルがあまりいなくて百姓一揆みたいなかたちでしか抵抗
できない。
浅見 暴発みたいな感じです。異分子とか違う考え方をする人に対する
アレルギーというのはドイツとか諸外国に比べて強いのかなという
感じがします。・・・・・。
違う人の考えを認めるといってもそんなに長い伝統があるわけでも
ない。裁判官の中でも、理念的には違うものを認めるといっても、
違う考え方する人に対してどういう態度をとるかというというのは
国や社会全体の文化的な影響を逃れられないと思うのです。
馬場 給料の四号棒が三号棒になるならないとか、小さな話ではないか
という気もするのだけれども、そういう組織の中でつねに順序
づけられて他の世界との交流もなければ、視野が狭くなってしまって、
まさにそういうところで自分が測られるということにものすごくプライドを
傷つけられるようなある種循環ができていて、・・・。
浅見 報酬格差を生む*三号問題というのは、つらいですよ。
浅見 閉鎖社会ゆえでしょうね。・・・・・。明言はしないけれど、とにかく
「できるだけ外の人とは遠慮して」とか、「裁判官とか書記官を
通じて世の中を学ぶ」、「それ以外のことはできるだけ消極的に」
みたいな雰囲気があって、・・・。
組織の内部だけで育っているという性格が非常に強いので、・・・。
だけど同僚に比べたら自分だけが一人そんな目に遭っていると
思ってしまうのです。・・・・・。「なんでおれは違うのかな」とどうしても
思うのですよね。そのことは非常にみんな心のダメージになる
可能性が高いです。
毛利 倉田氏(東京地裁判事・倉田卓次、座談会「裁判と裁判官」)は
「・・・・・。裁判制度に国民が求めているものからいうと、初めから
結論が出てしまっているような形の人が裁判するということは
やはりいけないのではないだろうか」と語っています。
浅見 日本の裁判官というのはキャリア裁判官の中でも「日本的」
キャリア裁判官なのです。・・・・・。その特徴は「閉ざされている」
というのが一番です。
僕ら裁判官研修とかで一番「学べ、学べ」と言われたのは小説
ですよ。それだったらだれにも触れないからいいのです。小説と
書記官、事務官。そういうものから学ぶ。実はそれが一番安全
なのです。
馬場 僕は法律家の知恵というか、賢慮というものの価値を重視する
立場で、社会が裁判官をそういう価値の担い手として見る必要が
あると考えています。すなわちこれは、外である裁判官がどんなに
跳ね上がったことを言っていても、別に青法協であろうが共産党
支持であろうが、好き勝手なことを言っていようが、その裁判官が
法廷の中で出す判決、判断とは別ですよちうことを人々が受け
入れる必要があるということで、それが社会の成熟だと思うのです。
・・・・・。
外でいろいろな発言していても、判決の中では法の論理なり何なり
をちゃんと納得のいくかたちで枠組みにしたがって出す。そして
それをそれを世の中の人が違憲判決であろうが判決として受け
入れる。そういう望ましい状況をつくるべきだし、現にそこに向かい
つつあると僕は思うのです。裁判官の市民的自由は社会の成熟の
バロメータであると思う。
浅見 ・・・・・。
「体制側か反体制か」そういう言葉がたびたび出てくるでしょう。
どっちの立場に立つのかと。今の言葉でいうろ、「どっちの立場で
旗を振るのか、旗を立てろ」と。
馬場 ・・・・・それは憲法を守るという主張が特定の政治的立場と必然的に
結びついてしまったことです。「私は憲法を守る」と言い、「法と憲法
にしたがって」判断を下すのは裁判官の当然の、少なくとも近代社会
の一般論では当たり前のことですね。だから「青法協という法律家
集団が憲法を守ると主張するのは当たり前のことじゃないか」と
言われることがあるけれども、政権政党が憲法を変えると言って
いて、護憲政党というのはだいたい革新で、そういう政治的構図の
中に自動的にはめこまれてしまうような言論の布置というか構図
みたいのがあった。・・・・・。ここでは法の論理が政治的な議論なり
構図と一緒になっているわけです。それが法的な価値であると
同時に戦後の中では特定の政治立場というものと非常に近い
言論の構造になっていて、それはイコール反体制になってしまう
わけです。憲法を守るというのは本来体制的な主張のはずなのに、
それが反体制になるという「ねじれ」みたいなものがあって、それは
個人の良心やらいろいろな人の思いを吹き飛ばすような非常に
乱暴な構図だった。
そういう中でいろいろな人たちの生き方みたいなものが強引に
色分けされていくという構造、メカニズムがある。・・・・・。結局は
そういう政治の大きな流れの中で流されざるをえないという実存的な
状況を感じるのです。
ものすごく大きな歴史の流れの中で、いろいろ苦しんだりしている
人たちの姿を見ると、「だれが良かった悪かった」と論じること自体が
非常に傍観者的で無力だと、歴史の力学というものはそういうもの
かなというふにも思います。
馬場 そういう中で矢口さん(矢口洪一判事 やぐち・こういち 司法の
官僚統制を仕上げた長官だといわれるが、最近は、法曹一元、
国民の司法参加に積極的な発言が目立つ。)のような人が出て
くるかと思えば、Jネット(日本裁判官ネットワーク)が出てきて力が
抜けてきている。法と政治というものが一体化していた状況から
時間が経って安定してきた中で、市民社会的な言論をつむぎ出す
雰囲気がわりあい出てきた。
浅見 ・・・、理論的な裏づけとしては「公正らしさ論」、それを裁判官会議
かなんかで決めて、それでずっと殻を閉じていくというか、シャッターを
下ろしていく歴史です。それが裁判所だけでなく裁判官そのものも
閉じていくということ、それが日本的キャリア裁判官を生んでいった
のではないかなという気がします。
馬場 ・・・、本当にそれが良かったのかというのが一つ。それから本当に
外部にだけ責任があるのかと。内側でも「ああいう判決はとんでも
ない」とか、「あるべき裁判所、裁判官の姿じゃない」と主体的に
弾圧した部分が絶対にあるはずだから、そこの責任を曖昧にしては
いけないですね。
浅見 市民性はないけれど政治性もない。大工さんみたいな存在です。
・・・・・。
「公正らしさ論」に極度にとらわれた裁判官で、閉ざされた存在で
あるというのが日本のキャリア裁判官のように思います。・・・・・。
職人であっても、やはり「官僚」裁判官ですから、この点が問われて
います。
浅見 ・・・、では対世間に対して変化があったかというとなかなかそこまで
いかなかった。そのために問われたのが今回の法曹一元論では
ないかと思います。
そこでは常識論とか当事者体験が問われました。・・・、等質性とか
統一性が日本の裁判所の特徴だと言いきりました。・・・・・。
しかもその背景にはやっかいな日本文化論があるわけです。
浅見 日本は均質性な裁判を保証してきた。
毛利 もともと司法改革は経済界の要請があったわけですね。社会が
変わってきているので裁判の効率も良くして裁判所をきちっと
しなければという財界の考えと、司法の冬以来続いている裁判官の
不自由さを克服したいという考えが今は一緒に語られています。
馬場 視点が違って見方が違って要求するものが違うかもしれませんが、
財界が「もっと裁判をうまくやってくれよ」と言うのと、日弁連が別の
方向で言うのと、市民が何か言うのと、方向が違っているだけで、
「財界は本当は日弁連つぶしだ」とか「人権保障をないがしろにし
司法を最終的には自分たちの手先にすることをねらっている」
などという議論はもういいかげんにしてくれと思います。
毛利 そう思っているのではなくて、目的が最初それで始まったのに、
昔からあった、伏流のようにあった裁判官人事の問題とか
いろいろなものが一緒に波に乗って改革の中に混ぜられている
でしょう。だけれども、最後には最高裁が強引にそれを取り除く
ことだってないのかなという気持があるのです。
馬場 最高裁にそんな力があるのかな。
浅見 心配は的外れではないとは思うのです。・・・・・。法の支配とか
法律の役割が大きくなるような社会の中で裁判官はどうあるべき
かというのは連続している議論なのです。・・・・・。大きな司法の
社会のなかでは裁判官はもっと市民的基盤を大きくしないといけない。
馬場 日本裁判官ネットワークにオリックス社長(当時)の宮内義彦氏に
上手に関わってもらったのも浅見さんのそういう考えと手腕ですね。
浅見 僕は宮内さんと接してみて、とても大人だし大物だと思いました。
経済合理性を持って発言はされているのだけれど、それだけでは
ない何か先を見通しておられるところがあると思いました。
馬場 本当の大物が出てほしい。今はやり方が姑息ですね。学者や
退官者を使って代理で発言させたり、判事補に発言させたり。
裏で糸を引いているのは最高裁か司法研修所の誰かでしょうが、
自分は責任をとらないわけです。とらないで書かせる。
毛利 そうやって中心(最高裁)から発信していないように見せかけて
いるわけですね。
浅見 その原因をさかのぼると最後はキャリア裁判官に行き着くところが
あります。
浅見 日本裁判官ネットワークの前身となるコート21という組織を作った
のは・・・。
僕個人が一番「すごい裁判官がいるな」と思ったのはヴァッサーマン
というドイツの裁判官です。
言葉はきついかもしれませんが、日本の「縮こまった」裁判官の
対照物を見せてもらったような思いがあって、とてもショックでした。
・・・・・。考えや生き方、行動原理、雰囲気等いろいろ異なるタイプの
裁判官が裁判所をつくっていて、それでも裁判所や社会、国として
まとまりをもっているわけです。
・・・・・。コート21という研究会を作りました。
・・・・・。一人だと孤立してしまうのでということで、団体結成に向けて
ずっと研究してきたわけです。
浅見 ・・・・・。ただ、今回の司法改革が従前と決定的に違うのは経済界が
言い出したという、ある意味での安心感があったことが勇気につながり
ました。これは社会全体の動きになる可能性があると思ったのです。
日本裁判官ネットワークの立上げは一九九九年(平成一一)年九月
一八日でした。・・・・・。そのため、外に対してできるだけ開かれた
ものにしたいということ、・・・・・。
基本的には協力、競争でいくことにしました。
キャリア裁判官の自己改革というものをかなりベースにしている
日本裁判官ネットワークの姿勢ではないかと思います。・・・、
開かれてた裁判所というのは裁判所が開かれてることと、裁判官が
開かれていることを意味し、・・・。
馬場 ・・・・・。
しかし自己改革を言わない組織や個人の主張はどこかウソくさい
のです。
浅見 位置づけとして一番大事なのは裁判官制度の改革と裁判員制度です。
馬場 ただ評価・人事の透明化に関しては、最高裁事務総局の裁量的な
権力を小さくする積極面だけでなく、裁判官にたいへん厳しい改革
であることも理解しておかなければならない。
毛利 司法制度改革の、裁判官にとっての目的は何ですか? 裁判官は
幸せではないのですか? 裁判官が裁判制度を考えていくのは、
国民のための司法という高貴な目的もあるけれども、裁判官という
人間の幸せというものも含まれているのではないですか?
馬場 機構を変えないといけないので、歴史的につくられたものを頭を
切り換えれば終わりだというようにはならない。
毛利 裁判官は特別に優れた者であるという思いが裁判官にあり、政治的に
差別されていても、「仕事そのもので弱音を言ったら最後だ」という
ところがあって、その意識が過剰な仕事を支えている。
馬場 やはり誇りでしょう。世の中に裁判官ぐらい偉い仕事はないです。
馬場 それだけの重責だからこそ、生活を犠牲にしながら追い立てられる
ようにその権限を行使するというのでは絶対にいけない。
毛利 ということは裁判官が言う前に回りの市民が言わなくてはいけない
のかな。裁判官に徹夜をさせない会を作るか(笑)。
浅見 ここ何年か文脈の中で弁護士会なんかも「忙し過ぎる裁判官」という
ことで人数を増やそうと主張しているのですが、裁判官としては弱音を
吐きたくないというのが非常に強いようです。弱音を吐くことは自分が
能力がないとか、・・・。裁判官の人数を増やし、一人当たりの仕事を
減らすということになると当然給料も下がるだろうということを考えて
いる人もおられるみたいです。今のように少数精鋭で、しかもたくさん
仕事をやって、給料も高いほうがまだいい。これが人数が増えて
有象無象の人が入ってきて、言葉悪いですけれど、質も低下して、
・・・・本音のところで実は増やしたくないと言っている人もいるのです。
馬場 その「効率」とか「処理」とかいう言葉に僕は抵抗があります。・・・、
こうした「効率的な事件処理」という用語からは、裁判官の職責の
「崇高さ」の「す」の字も感じないのです。
・・・、本来裁判官がやるべき仕事がどこであって、そのためには
どういうふうに仕事を組んで人数はどのくらい増やすか、そういう
大所高所的議論をしないといけないと思う。効率、事件処理という
言葉自体が、裁判官の仕事を非常に卑しめている感じがするのです。
浅見 ・・・・・。
情報が遮断していると思います。実務の伝承はあるのですが、
裁判所の歴史、裁判官の歴史、とくに苦い体験とかそれによる
教訓というものは本当に伝承されてないです。
・・・・・。
また若い人も、私たち中堅も、そして先輩裁判官も、社会体制と
国家体制の変化の中で司法をとらえる視点が非常に弱いと思い
ます。冷戦構造が社会の中で崩れていっているので、司法でも
当然崩れつつあると思うのです。
毛利 やはり言葉がなくなっているのですね。そういう大文字のことを
語る言葉が。
馬場 言葉がなくなったというより僕は場がなくなっている感じがするの
です。若い人たちと前の世代が集まって、伝えるというと「聞けよ、
おまえら」という感じになりがちではないですか。そうではなく、
語り合って「実はおじさんも昔はこんなんでね」みたいな昔話という
のは、そんなに押しつけがましくなければ、知らない世界の話だから
おもしろいはずだと思うのです。
・・・・・。
裁判所の中にも中と外の間の接点としての場があるべきです。
そしてこれは裁判所だけの問題ではなくて、あらゆるところに
今必要な空間だと思われます。
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