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 論稿「憲法違反の裁判官たち」----→2009年11月30日UP)

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 論稿「憲法違反の裁判官たち」
 H・O

 雑誌「冤罪File」09年12月号に収載された論稿で、5人の裁判官が

 刑事裁判における誤判によって冤罪被害者をつくり出したとし、名指しで

 「憲法違反の裁判官たち」とされています。

 
 裁判も国家権力の行使であり、それは国民から監視される必要があります。

 この論稿は、無辜が罰せられてはならないという立場から、裁判官の判断を

 検証するものです。刑事裁判への市民参加=裁判員制度が始まる中で、

 国民の裁判への関心を一層高め、裁判を見る視点を提供するものになって

 います。
 

 なお、ここでとりあげられた裁判官たちがどのように「憲法違反」なのかは、

 より厳密に検証されるべきと考えます。当然、裁判官たちにも自分の仕事を

 絶えず検証してもらわなければなりません。しかし、仮に裁判官が誤った判断

 をした場合でも、その要因の分析が重要でしょう。

 裁判官たちが日々どのような考え方で裁判をしているのか、どのような努力を

 しているのか、その努力を阻んでいるものは何か、等々を掘り下げて考えて

 みたいものです。

 なお、当研究所は元裁判官たちによる連続講演会「日本国憲法と裁判官」を

 開催していますが、ぜひ多くの方々に元裁判官たちの声を聞いていただき

 たいと思います。

 次回の講演会は次の通りです。


 2009年12月3日(木)18時~伊藤塾東京校にて。講師は山口忍さん・園田秀樹

 さん(いずれも元裁判官)。くわしくはこちら。

 
 元裁判官・守屋克彦さんの講演の映像については当サイトのこちらから

 ご覧いただけます。
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  『冤罪ファイル』No.08
  
http://enzaifile.com/
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 憲法違反の
 裁判官たち など
 
 神戸質店主強盗殺人事件・徳島
 ラジオ商殺人事件・北海道庁爆
 破事件・鈴村事件ほか
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 斎藤茂男『われの言葉は火と狂い』(築地書店、1990年)より
 
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 茂子さんの人権を踏みにじり、家族や証人たちの人生にも多大な被害を

 与えた直接の責任者はいったいだれなのか。供述調書や村上報告書など

 から判断すると、直接かかわったのは徳島地検・田辺光夫検事正、湯川

 和夫次席検事、村上善美・藤掛義孝両検事、丹羽利幸検察事務官らで

 あり、さらに西野証人らの"偽証告白"をひっくりかえさせるために

 活躍した昭和三十四年五月当時の徳島地検・大越正蔵検事正、丸尾芳郎

 検事、高松高検の南舘陸奥夫検事らの名前も加えられるべきだろう。

 そして、さらに見逃せないのは"犯罪"といってよいほどのでたらめきわまる

 判決を下した裁判官たちだ。

 再審開始決定と無罪判決を下した裁判官たちは、"茂子有罪"の判決を

 下した同僚裁判官たちの誤りをきびしく徹底的に批判し、ようやく裁判

 の威信を取り戻す役割を果たしたが、
 (PP.203-204)
 
 
 "茂子有罪"の判決を下した裁判官たちは、この西野証言をどう評価して

 いたのだろうか。検察庁で西野少年がこの重要な供述をしたあと間もなく、

 この刺身庖丁の大捜索がはじまった。五日間にわたって両国橋の上流、下流

 それぞれ約二〇㍍の範囲にわたって、潜水夫や漁業用の用具を動員して

 川ざらいしたのだ。その結果、パチンコ玉数百個などたくさんの金物は

 出てきたけれども、庖丁はついに見つからなかった。

 ところが、"茂子有罪"とした二審の裁判官は「刺身庖丁が投棄の場所に

 存在するとしても発見の能否は別個の問題で、右のごとく発見できなかった

 といって直ちに投棄の事実を否定し得ない」と片付けていた。

 これはシロウトがみてもおかしな論理だ。つまり、川ざらいして庖丁が

 見つからなかったという事実は、庖丁投棄そのものを否定する判断材料

 にはなるけれども、反対に庖丁投棄を認める材料にはならない。それを

 あえて「投棄したことはまちがいない」という判断材料にするためには、

 なぜそう言えるかという、裏付けが必要だ。ところが判決はそんなこと

 にはお構いなく、強引に、庖丁が出てこなかった事実を葬り去り、庖丁を

 投棄したという西野証言を生かしていたのである。この点を再審開始

 決定を下した裁判官はどう判断したのだろうか。裁判官の文章だから、

 多少固苦しい表現だが、論旨は明快である。そのまま引用してみよう。

 
   右のような事実の認定方法は、供述証拠と客観証拠との関係を逆

   転させ、採証法則上の初歩的原則を無視するものであって到底看過

   することができない。
 
   (中略:ウエブサイト運営者による)
  
   もし仮にその証言が特に信用し得る根拠があるのであれば、「不発

   見」という客観的事実と、「兇器の存在」という仮説との両立し難い

   矛盾を合理的に説明するところがなければならない。合理的に説明

   し得なければ、そうした事実は認定しないのが論理的法則、経験則に

   従うべき事実認定の鉄則である。

   第一、二審判決説示は、西野証言の信憑性を過信する余り、事実

   認定の基本原則を軽視した疑いが濃厚である。


 裁判官が裁判官に対して、「これは事実認定の初歩的なルールを無視した

 ひどいやり方ですよ」と断言しているわけだ。
 (PP.205-207)

 

 
 私はかつて問題の二審判決を言い渡した裁判官を自宅に訪ねたことがある。

 支局の記者ではなく、東京からわざわざ来た本社の記者ということが影響

 したのか、立派な邸宅の応接間へ上げてくれた。その地方では有名な

 旧家で、兄弟が長く県知事をつとめるなど、地方のもっとも有力な階層の

 出身者である。人当たりがよく、愛想のよい応対ぶりは意外なほどだった。

 だが意外だったのはそれだけでなく、判決の疑問点を問いただしていくと、

 「いやあ、あの事件ほどむつかしい、よくわからない事件はなかった。

 最後の最後まで判決に迷ったのをよく覚えていますよ」

 と、しきりに難事件だったことを強調する。それならばなぜ、あのような

 判決を下したのか、私は話を聞いているうちに、どうやら確信のないまま

 なかばサイコロを振る感じで、検察側のほうへ振ったのではないか、

 そうしておけばまず安全だろうという判断放棄の状